今日は、『棺おけに入りなさい』
という話をしたいと思います。
この前、奥まさかつさんと話してて、
「会田さんて、精神的ノマドっぽいよね」とか、
「会田さんの話って癒し系だよね」
という感じで、ずいぶん褒めていただきました。
(かなり照れました)
逆に、それなりに稼いでて情報発信する人は
『マウンティング』してくる人もいるそうです。
マウンティング!?
私は『マウンティング』という単語を
知りませんでした。
マウンティングとは、言葉や態度などによって
「自分の優位性」を誇示することを表す言葉だそうです。
なかなか興味深い言葉ですが、心理的には
「ディスカウント」(値引き)と呼ばれる行為です。
つまり、読者さんの存在価値を「自分より低いもの」
と見なして、心の安心を得るというしくみです。
そこには、発信者の「根深い恐れ」を感じます。
「このまま売り上げをあげつづけられるのだろうか」
「新規参入者に抜かされるのではないだろうか」
「おれから月収を取ったら、何が残るのだろうか」
だから、稼げてない人をボッコボコになじって、
「はやく俺みたいにならないとね~(まあ、お前にはムリだろうけど)」
と威張り散らすのです。わかりやすいですよね。
「お前はカローラだけど、おれはベンツだぜ」というのは、
すごくわかりやすい精神的自慰行為なわけです。
しかし自慰行為は自慰行為でしかなく、自慰行為をしすぎたら
ウツになるのと同じで、マウンティングしすぎたら、
パッションが消えます。
パッションのないビジネスマンは、ガス欠の車と同じです。
本当に安心したかったら、「棺おけ」に入るのが、いいです。
(じいちゃんに教えてもらいました)
棺おけは6尺(約2メートル×50センチ×50センチ)です。
そこには、自分の体以外に何が入りますか?
フェラーリですか?マンションですか?子分ですか?
何も入んないですよね。
そりゃあ、「フェラーリのキー」とか、「土地の権利書」とかなら
入るでしょうけど、だから、何だっていうんですか。
ぼくたちは、フルチンで生まれて、
フルチンで死んでいくんです。
死んだら骨だけ。焼けたら終わり。
だから、残せるものを残したらいいんです。
だから私は、こうやって書いてます。
「私は文章がかけないのですが...」
何も残さなくていいんです。
たとえば親から受けたトラウマを、誰にも与えずに
やさしく死んでいくのも意味があると思います。
負の連鎖を自分の代で完全に断ち切る、
これも立派なことです。
「棺おけとか入る機会がないのですが...」
シャワーを頭から被りつづけたら、棺おけ。
高速バスとか、LCCのエコノミーとか、棺おけ。
電波の届かない山奥とか、棺おけ。
棺おけに入ると、本当の安らぎが見えてきます。