今日は、『裁判所通い』という話をします。
先日、私の友人と電話で話していて、
「旦那のDVで裁判所通いをしている」という話になりました。
私が、「そうなんだー」という反応をしたのが意外だったようで、
「ふつう、もうちょっとビックリしてもいいんじゃない?」と
たしなめられました。
別に、いじわるしてるわけじゃないんです。
私自身、薬漬けの裁判所通いの日々を送った経験があるので、
『裁判所通い』という単語に感情が引っ張られません。
それともうひとつは、「裁判所通いは、『結果』にすぎない」
と思ってるからです。
結婚は、ビジネスと似ています。
誰に強要されたわけでもなく、自分の意思で「やります!」と
手を挙げているからです。
結婚もビジネスも、『自分自身がコミットしているか』
が大切です。
心のどこかで、結婚の問題を、義母のせいにしたり、
適齢期のせいにしたり、子供のせいにしてたり、
パートナーのせいにしてると、どうなるか。
自分の本当の気持ちがわからなくなって、着地点がぶれてきて
問題が泥沼化してきます。
逆に
「この結婚がうまくいかなかったのは、自分もわるいよな」
というところが見えてくれば、気持ちがラクになります。
ビジネスも同じで
「自分が稼げないのは、自分もわるいよな」
というところが見えてくれば、稼ぐ用意が整ってきたといえます。